ブルーベリーシガレット

女子力は2次元ではなく3次元

ちょっとだけ良くなりたい

きっかけは、中間淳太くんがコンサート中の挨拶で発した言葉だった。
正確な言葉は覚えているわけではないけど、コンサート序盤のメンバーひとりひとりの挨拶で「自分のこと中の下だと思ってる人元気~?」というような呼びかけがあった。わたしはそこで「イエーーイ!!!」と思い切り声をあげた訳なんだけど、コンサートが終わってから、唐突なような、しかし至極真っ当なような感覚で「あ、痩せよ」と思った。舞い降りた。「痩せるために行動を起こす!」ということをしなければならない気がした。(ちなみにその後中間淳太くんは、「大丈夫!みんな中の中くらいはあるよ!」というような趣旨のフォローをしてくれました。)

正直自分の容姿にはめちゃくちゃ不満があるし、自虐の意味を込めて「あの子は可愛くて羨ましい」とぼやくこともある。しかしそもそもの顔はすぐには変えられなくても、体型を変えることは自分の行い次第で日常の延長線上にあるものなのでは?と思ったし、大好きなアイドルに問いかけられて大きな声出してるところではないと思った。自分の容姿を自分なりに向上させるための行動をせずに自虐ばっかりしてるなんて、本当にぬるい精神だ!と奮い立たせた。

あと、何かに憧れる続けることに少し変化が欲しいと思っていたタイミングで、自分を高めるための何かをしたい気持ちが沸々と沸き立っていた。

横浜アリーナでのコンサートを終えて飛行機に乗って居住地に降り立ったわたしは、これをダイエット前最後の晩餐にしようとカップヌードルカレー味を夜9時過ぎに食して、その翌日からダイエット、はじめた。

ガツンとダイエットを始めるぞと思い立ったところだったが、このダイエットは『継続』することをひとつの目標にした。今までダイエットしても1週間も持たないくらいで早々とリタイアしたわたし、今回はそれなりに続けて例えダイエットをやめる日が来ても、ダイエットをしていた頃の生活がベースになればそんなに太ることなく生きていけるはず…と目論んだ。わたしは毎日バタバタ働くそのへんの社会人なので今の生活にプラスして何かを始めたとしてそれは果たして継続できるのか?と考えて、さらに運動とかは3日も続かない自信があったので、とりあえず夜ご飯に豆腐や野菜をメインに食べて炭水化物を食べなかったり、炭水化物やお菓子などは食べても昼の2時~3時くらいまでで終わらせる、という食生活の見直しをメインとした、わりとゆるやかなダイエットを始めた。食べることは大好きなので、食事制限系のダイエットは我慢できる自信がなかったけど、意外と継続できて自分にびっくりした。逆に言えば昼ごはんまでは制限していないので、夜にどうしても食べたくなったら「食べたければ明日の朝食べればいい」と考えて衝動を抑えることもしばしばある。あと、最近友達がやっていると聞いて白湯を朝晩コップ一杯飲み始めた。あとこれは以前からだけど、毎朝毎晩通勤で、片道30分歩いてるのも良い運動かもしれない。

そんなことを始めて、およそ1ヶ月経った。1ヶ月も「わたしはダイエット中である」という意識をしながら暮らせたことがなかったので、もうそれだけでちょっとうれしい。ゆるいダイエットなので、結果はそんなに大きくは出ていないけど、(体重だけで言えば2キロ少し減ったくらい)地味に達成感がある。わたしもダイエットできるじゃん!!!

正直、何回か夜チョコレートやクッキーを食べてしまったこともあったけど、それで「結局わたしにはダイエットできない人間なんだ…」と諦めて終了にするのではなく、「明日のごはんを調整して取り戻そう」とか考えて、『ダイエットしている自分』の心持ちを維持することも大切だなと思う。

単純に「体重が減る」以外にあった良いことは、肌荒れが少なくなったこと、便秘が緩和されたこと、がある。夜炭水化物食べてないからなのか、豆腐や野菜の影響なのか、たまたまなのか、白湯のおかげなのか。分からないけど、自分のことを少し前の自分より「ちょっと良い」と思えるようになったことはすごく精神を安定させてくれている気がする。他人から見れば変化してないに等しくても、わたしは毎日わたしを見てるから分かる!1ヶ月前の自分よりちょっと良いよ。

もう一度大好きなアイドルに自分の容姿の美醜について自意識を問われたとして、まだまだ自分に高得点や合格点をあげられる自信は全くないし、相変わらずわたしはわたしだと言うことに絶望することもいっぱいあるけれど、ひとまずダイエット初心者としてこんな生活をのんびり続けた先に「ちょっと良いかも」と思える自分がいて、その先に「めちゃくちゃ良くなった」と思える自分がいたらいいなと思っている。

あと、人生で「何にも思い通りに行かない!」と思ったときの精神安定方法として、ダイエットというのは割りと有用なのでは?と思った。なぜならダイエットはやったらやったぶんだけ自分に返ってくることが分かっていて、「大丈夫、ダイエットは上手くいってる…」と思うことで自分を励ますことができる気がする。よく筋トレをめちゃくちゃする人が「失恋したら筋トレすればいい。筋肉は裏切らないよ!」というようなことを仰るが、そういうことか、と府に落ちた。自分への働きかけはおよそ絶対の効果があって、ダイエットや筋トレとか勉強とか、そういうことだと思った。

という、ゆるいダイエットを1ヶ月続けたところでモチベーションが保てなくなってきたので、自意識に働きかけることと記録の意味を持って書きました。ありがとうございました。

東京に憧れて、冬

朝は4時に起きた。一人暮らしを始めた土地では初の飛行機に乗る予定だったが、本当に間に合うのか、慣れないことにあたふたしている間に乗り逃してしまったらどうしようか、今日のチケットを持っているのはわたしだからもしわたしが開演時間に居なければ友達も入れない、とか考えてびくびくしていたら予定より早く起きれた。それが4時だった。一通り準備して出発したのは5時過ぎだった。寒くて暗い夜道で自動車を運転する。周りに車はほとんどいなくて、ものの15分ほどで空港に到着した。第1便に乗る予定で来たけど、まだ空港開いてすらない…。ほどななくして自動ドアの向こう側から来た警備員さんがドアを解錠してくれた。ここでようやく「早く着きすぎたな…」と思った。5:40くらいから空港でひとりぼーっとしながら過ごす。前日少し遅かったけど不思議と眠たくなかった。それから人が少しずつ増えてきて、搭乗時間が来て、搭乗して、無事離陸した。

窓側の席を取ったのは外の景色が見たかったからで、羽が真横にある席を選んだのは飛行機に乗ってると実感したかったからだ。その日は雨が降っていて、7:00頃に空に向かった飛行機からは真っ暗で何も見えなかったけど、雲の上まで上がると太陽が昇ってくるのが見えた。飛行機は昇る太陽に向かって進んでいて、ああ、わたしは東に行くんだ、と思った。

羽田空港に着いて、新横浜駅行きのリムジンバスに乗った。この時点でまだ9:00過ぎだったけど朝が早すぎて時間感覚がなくなっていた。

横浜駅に来たのは8ヶ月ぶりだった。8ヶ月前は「ここがあの…!」とインターネットで見た景色との一致に感動する田舎者だったが、今回も関東の地を踏んでいる感慨があった。お友だちとJR改札前で待ち合わせ。先に買っておいてもらったグッズを頂戴するなどして、手近なお店で昼食を済ませて、いざ横浜アリーナへ出陣。

たのしかった。ここ最近で一番笑った。かっこいいもかわいいも面白いもできるということ、よく知っていたつもりだったけど、その「ここまで飛べるのは知ってるよ」っていうハードルを今までも何度でも越えてきてくれたことを、思い出した。

夜の公演も入る予定だったので、また手近なところで食事をして、そそくさと横浜アリーナに戻った。

数時間前に一回見たはずなのに、同じところで初めて見たみたいに笑って、泣きそうになって、センチメンタルになった。やっぱり好きだと再確認してしまった。

演劇の舞台と違って、コンサートの舞台は終演後も隠れたり何かで遮られたりはしない。ほんの数秒前までそこにいて、歌ったり踊ったりたのしい話をしてくれたアイドルの姿が幻だったんじゃないかと思うくらいに静けさのあるステージに、自分の中でアイドルの姿を投影することはできても、それはもう2度と帰ってこない一瞬なんだということを、まざまざと身に染みて感じる。間違いなくたのしかった。

横浜アリーナから退場して、お友だちとまた手近なところで食事をした。1食と言える量の食事を今日4回取っているなと思った。どの食事も全部美味しかった。コンサートを思い出してみんなで項垂れた。うー、とか、あー、とか言って幸せに項垂れた。

ホテルに戻って、シャワーを浴びて、団扇をベッドや窓際に並べるなどのヲタク特有のひとり遊びをきっちりとやり終えて、床についた。明日は帰る日。そう思ってからもう一度、ホテルから見える夜景を見に窓際に行く。


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帰りたくない、とは都会に来る度に何度でも思う。わたしはなぜここに生まれ落ちなかったのだろう、と親にはめちゃくちゃ失礼なことを何度でも考える。来世は絶対、とも思う。夜に灯る景色が、殊更に感傷的な気持ちにさせた。

翌日は本当に帰るだけだったけど飛行機の便が遅かったので、のんびりした。遅く起きて、ゆっくり準備して、久しぶりのお友だちに会いに新横浜駅に行った。とっても久しぶりだったからわたしの顔覚えているかしら?という感じだったが普通に気付いてくれて嬉しかった。駅でほんの少しだけお話して、コンサートに向かうお友だちの背中を見送った。

ここからは赤レンガ倉庫に行ったりして観光をしたが、あんまりうろうろして空港に行けなくなるのが怖くてめちゃくちゃ早めに空港に向かった。赤レンガ倉庫は、何年か前にリトルトーキョーライフのタンデム自転車企画で重岡くんと小瀧くんがチェックポイントとして立ち寄っていたところだと記憶していたので、「ここで、重岡くんは『ちょっとは海見ようや!!』みたいなこと言ってたのか~~~」と笑った。


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空港では、ひたすら時間をつぶす感じになってしまったけど、それも良かった。羽田空港で贅沢に時間を使う感じ、2000円の食事を迷いなく食べられる感じ、わたし大人になったのだなと思った。

本当に本当に、帰りたくないなと思った。もしかしたらここでいろんなことが終わっても、それでもいいと思えるのかもしれない。というのは、さすがに行き過ぎた思考では?と振り返って思うけど、そういう引力というか何かが東京や都会には確実にわたしに働く。 帰りたくなかった。

帰りの飛行機も窓側で羽の横だった。離陸して、夜に浮かび上がる無数の光が都会を物語っていたけど、わたしの乗る飛行機はどんどんそこから離れていって、でも、空が晴れていたから光が見えなくなるには結構時間がかかって、ずっとずっと街の灯りを見ていた。もうわたしの窓からは灯りが見えなくなったとき、わたしは憧れの街を離れて帰るんだな、ともう一回思った。少し涙が出た。

飛行機が着陸して、ついに戻ってきてしまった、と思ったけど、とにかく今回の旅の収穫は飛行機で1泊東京旅行は体力的に全然辛くないことを知ったことだ。今まで「せっかく東京行くなら1泊じゃちょっとね」みたいな思考があったけど、目的が明確でお金があれば1泊でも問題なしということが分かった。まあ、お金があれば、というのが最大の問題というのはある…。

自分がヲタクをするときのマイルールとして『できるだけ東京(より東)には行かない』というのがあるが、これは東京に行くにはお金がかかるし、もっと近い会場で現場が踏めるならそこにかけたい、というのが気持ちだった。あと単純に行き出すと止まらなそうなので自制。が、やっぱり東京には引力があるな、と思う。とかなんとか言いながら8ヶ月前も来てるので揺らぎまくっている。

というか今回は横浜の地を踏んだだけで東京には行っていないので、東京について感傷的になるのは違うのかもしれない。

次こそは、本当に東京の地を踏みたいと思う。東京ドームでコンサートしてくれるって言うなら、またお金かけてくるよ。



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この街にも届けてくれて

東京は、近付かなければ近付けない、そういう存在だと思っていて、何があっても向こうから近付いてきてはくれない、その概念に孤高さを持っているからこそ、追い求めて近付きたくなってしまう人が多いんだと思う。

ありとあらゆるイベントも、大抵東京である。田舎に住むわたしは、人気俳優がバラエティー番組で主演舞台の宣伝をしていても「珍しくバラエティー番組に出てると思ったら舞台の宣伝か。舞台ならあんまり関係ないかな。」という気持ちになる。だいすきなアイドルに主演ドラマを「ぜひリアルタイムで見てください」とお願いされてもそもそもドラマが映らなかったりする。生まれたときからテレビの中とのギャップが当たり前だったからそんなものだと思って生きてきたけど、それを『疎外感』と呼ぶならそれはまあそうだと思う。

『カメラをを止めるな』という映画が、自主製作で制作費が安価にも関わらずとても面白くて話題になっている、というのは朝のテレビ番組か何かで知った。最初東京の小さな映画館2つでしか上映していなかったのに、話題が話題を呼んで全国に広がったと言う話だったと思う。毎日のようにテレビが『カメラを止めるな』が面白くて人気でリピーターが多くて上映する映画館が増えてるという話をするので、わたしが見たいと思うようになったのは自然なことだと思う。でも、初秋の時点ではわたしの街にその映画が届く気配はなかった。どんなに人気でもこんな田舎に東京の映画がやってくるなんて、そんな優しいことが起こるわけないと、いっそ届いてなんかくれるな、と思っていた。

8月の半ばに大阪旅行に行った時に『カメラを止めるな』のポスターを見つけた。f:id:ar_yk_fmb:20181223231240j:image

「ああ…テレビでやってるやつ…」と思って思わず携帯カメラを構えた。大阪で映画を見たわけではない。全てが都会の話で都会で完結される話だと思ったら、わたしの住んでる場所は一体何なんだろうと思った。

それから地元に帰ってからも、何度も何度もその映画の話が耳に入る。無名俳優のシンデレラストーリーの話を何度語られても何の感情移入も出来なかった。その映画はわたしの街にやってきてないので。

 

と、へそを曲げていたらなんと程なくしてわたしの街にも『カメラを止めるな』がやってきた。期間も短かったし回数も少なかったけど、わたしの街にも『カメラを止めるな』がやってきた。やってきた!東京が近付いてきてくれた気がした。時間に余裕があったわけではなかったけど、見に行く以外の選択肢がなかった。字幕つきと字幕なし両方上映していて、字幕なしが見たかったけど時間が合わなかったので字幕つきを鑑賞した。

映画の内容は評判通り面白かったけど、それ以上に、わたしは感動した。東京だけのものだと思っていたものが、都会だけで完結すると思っていたものが、わたしの街にもやってきたんだと思ったら、めちゃくちゃ感動した。ここにも届けてくれてありがとう、と思った。仲間に入れてくれてありがとう、と思った。

映画だって、超有名俳優が出てる多額の興業収入が見込まれてて最初からわたしの街でも上映されると分かっているものではなくて、予定では東京だけで終わるものだったのに、というのがこんなにもわたしを感動させているのだと思うけど、本当に嬉しかった。

 

ジャニーズJr.の映画『少年たち』も、わたしの地元でも上映予定だ。わたしはジャニーズJr.に特別応援しているアイドルがいるわけではないけれど、いつもは会いに行かなければ会えないアイドルが少しだけ、こちらにも手を差し伸べてくれた気がした。差し伸べてくれた手は取り逃したくない。『少年たち』は比較的広範囲で上映予定のようで、ほっとした。

きっとこれからもこの田舎の片隅で生きながら何か『東京』に触れる度に感動してしまうんだろうな、と思う。

少年たち、見に行こう。

 

 

 

ハッピーオータムウェディング

人生ではじめて、結婚式に招待してもらった。

高校生の頃、一番仲良くしてもらったと思っている子の結婚式だった。大学生になってお互い別々の土地へ引っ越したけど、わたしのところに遊びにきてくれたり、夜な夜な長電話をしたり、地元に帰省したとき予定を合わせて遊んだり、ふたりの一人暮らししてる土地の中間地点に集合して遊んだりした、そういう思い出が頭の中を駆け巡った。いつの間にか、あんまり連絡を取らなくなって久しいね。

大学生時代にアルバイトが同じで出会ったらしい男の人が新郎だった。結婚式で初めて出会った。明るくて人当たりを良い、素敵な人なんだろうなと思った。

わたしの、全然知らない人と結婚するんだね、そんな素敵な人がいたんだね。なんとなくは知っていたけど、そんなに進んだ関係だったんだね。その経過の話をする相手として選んでもらえなかったんだと、胸がぎゅんとした。なんか失恋みたいだな、と思って自分で自分のこと笑った。時は誰にでも平等に流れていたと思い知った。

個人的には、結婚願望はあんまりない。結婚式を見てめちゃくちゃ感動したし、彼女のウェディングドレス姿を見て泣いたけど、やっぱり結婚したいとは思わなかった。でも、好きな人と結婚する人生を選べる彼女を見たとき、あまりにも美しく健やかで、人としての『正解』を見た気がした。二人の馴れ初めを「新婦の猛アタック」と聞いたとき笑ったけど、好きだと思った人に正面からぶつかって、愛情を与えて愛情を返してもらって、結婚しよう、と言ってもらえる彼女は、人として眩しいくらい健全だった。

 

彼女といたあの日この日を思い浮かべて、涙が出てきた。おめでとう、と心の底から思ったけど少し切なかったのは、美しく健やかな彼女を見て自分は人として『不正解』な気がしたことと、彼女と過ごした過去を追いかけたくなってしまったことに、悲しくなってしまったからだと思う。

 

結婚、おめでとう。また遊んでね。

 



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#だから私はメイクする ~ハンカチと洋服を合わせる

『高校一年生一学期の教室で、女子は女と子供に別れる』という話をどこかで聞いた。そういうことだったのかと思った。

あの子たちは『女』という領域の中に、生まれてからずっとそうだったような顔をして入り込んで、わたしは入れずに『子供』に留まるしかなかったんだと、顔の華やかな同級生を思い出した。

中学生まではなんだかんだ言ったって美醜に関しては子供の範疇を越えなかったのではないかと思い返すけど、高校生になってから質の違う優劣がつき始めた。もちろん中学生の頃から可愛い子は可愛かったし自分はそちら側ではないことはもっとずっと早く分かっていたつもりだけど、化粧をしたり髪を染めたり、そういう、子供ながらに若干ステージの違うステップアップだなと感じることをはじめた人が出てきた気がする。

髪を染めることにも化粧をすることにも特別興味は沸かず、というか校則違反して先生になんやかんや言われることのめんどくささを鑑みたら全然魅力度低くない??みたいな考え方の高校生だったので、一貫して『子供』サイドから抜け出さぬまま高校を卒業した。まあ、それなりに楽しかった。

大学生になって、髪も染めたしパーマも当てた。でも、化粧はずっと馴染めなかった。みんな化粧してたし、この化粧品がいい!みたいな話もあったけど、全然馴染めなかった。何回か化粧をしてみたときに「なんか違う」と思って、自分には化粧は似合わないんだと思った。ピンク色になった唇や頬、マスカラでくっきり見える目がちぐはぐでおかしくて、「もしかして化粧は可愛い子がもっと可愛くなるためのツールでしかないのでは?」と思い始めてすぐ諦めた。なんとなく毎日顔に何かしらを塗って大学に通っていたけど、「ひとまず化粧はしてますのでマナー違反ではありませんでしょ?」という義務感や防衛意識からしていたもので、楽しくもなければ化粧をしてる自分をかわいいと思ったこともなかった。そもそも可愛い顔を持って生まれなければ何やったって無駄な気がして、自分の外見について躍起になって取り組んだって徒労に終わると思っていた。それは大学を卒業して社会人になっても、そんなに形を変えることなく私の中にコロコロと転がり続けている。
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『だから私はメイクする』を読んで、こうやって向上しなければいつまでもわたしは「可愛くない側」で何かに負けているような気持ちで生きていかなければならないのではないか?と思った。可愛くなければ何したって意味がないって、そんなことないってことを感じさせてくれる友達や芸能人なんて何人もいるからもう分かっていたはずなのに、いつまでも「自分が不細工なのは分かっています。キラキラやピカピカを身に纏って可愛い子のように装うなど身の程違いなことはしません、わたしは自分を客観的に見れていますよ」という暗黙の自意識を相手に見せているように思っていないと不安だった。いつからか自己否定感情ばかり強くなって、自己肯定感情を高める努力すらしてこなかったのは、わたしの怠慢に他ならず、そのひとつが外見を磨き続ける努力なんだと思う。わたしもキラキラやピカピカを身に纏って、ここがわたしの美意識のターニングポイントでした、と話せるような変身を遂げたくなった。

 

わたしには、月に1度程度のペースで一緒にラーメンとスイーツを食べに行く仕事の先輩がいる。ラーメンかスイーツ、ではなく、ラーメンとスイーツ。ラーメン(わたしがいちばん好きな食べ物)を食した後にスイーツ(先輩が好きな食べ物)を食す。昨年まで同じ職場だった先輩で、身だしなみがいつでも整っている。いろいろな飾りがたくさん付いているわけではなく、いつも「整っている」という印象だが、先日のラーメンスイーツ会(そんな名前は付いてないけど)で、先輩が身だしなみにかける手間の一部を伺うことができ、ズボラ女のわたしは「すごいですね?!!」と素直に感嘆した。前日夜お風呂に入っていても毎日翌朝必ずシャワーを浴びたり、仕事場に着ていく服とプライベートで着る服は厳密に分かれていたり、ハンカチは百貨店で買うと決めていたり、仕事場に持っていくハンカチはその日の仕事着と合わせてコーディネートしていたり、という独自ルールには驚かされた。服とハンカチのコーディネートなんて考えたこともなかった。一緒に働いていた頃からそうだったけれど、先輩は自分のパブリックイメージをコントロールしていて、"他人の目に触れる自分のもの"についてめちゃくちゃ意識を払っている。職場で開催される食のセミナー的なものに「普段お使いの箸とお茶碗を持参してください」と事前アナウンスされていても、セミナーのため、他人の目に自分のものとして触れるからという理由で、雑貨屋や食器屋や百貨店を回って自分が納得のいく茶碗と箸を探し求めて片道一時間半の2つ隣の市まで行く。「先輩は自分を構成するひとつひとつのものをしっかりと選抜されてるんですね!」みたいなニュアンスのことを申したら「もちろんだよ?!!」と鼻息荒めに言われたので、もう一回感嘆した。

 

あるがままを誰かに、可能であれば誰にでも受け止めてもらえたら、それは楽だし幸せなんだろうなと思ってきたけど、見せたい自分のためにガッチガチに武装するのもめちゃくちゃかっこいいのでは?と思い始めている。強くあるために武装する、武装できるだけの自由がある、というのが大人だ、と思った。

吉澤嘉代子さんのアルバムのジャケットに小川紗良さんがいるのが嬉しい

ぜんっっぜんジャニーズ関係ないことなんですけど、もはや他ジャンルというか他界隈の話なんですけど、脳がスパークリングしたのでちょっと書き留めさせてください…わたし以外誰もたのしくないこと書いて公開します…ごめんなさい…

 

 

わたしはアーティストの吉澤嘉代子さんが好きで、関ジャムに出演していたり関ジャニ∞さんのコンサートに行っている姿をSNSで見たりして、ジャニーズと吉澤嘉代子さんが交わる現代の世界線というやつは最高だな…?!!?!と息を切らしている。

2014年、吉澤嘉代子さんがデビューするタイミングで好きになって、そのときわたしは二十歳だった。デビュー記念に全国をインストアライブで回るというのを知って片道三時間くらいかけて会場となるCDショップまで行って、手の届きそうな距離にあるステージの上の吉澤嘉代子さんを見たとき、「かっっっ、、、かっ、かわいい~~~本物だ~~~(涙)」と思った。あ~~思い出すだけで泣きそう(情緒不安定) CD買ったら一緒にチェキが撮れるイベントもばっちり参加して、なんか流れで仲良くなった隣の女の子とまさかの同郷というミラクルまで含めてマジのマジに最高だったということを覚えている。当時の住居からも地元からも三時間くらい離れてるのにすごいなほんとに。その後その子とは吉澤嘉代子さんのライブに一緒に行ったりライブ会場でばったり出くわすなどして親交を深めた。

まあわたしと吉澤嘉代子さんの馴れ初め(?)はさておいて、来月吉澤嘉代子さんは新しいアルバムを出す。タイトルは『女優姉妹』(ちなみに吉澤嘉代子さんが今まで出しているアルバムはタイトルが全て漢字四字)。はあ…もうタイトルから聞きたすぎる…。で、CDのジャケットが先日公開された。

女優姉妹 (通常盤)

女優姉妹 (通常盤)

 

最高かよ…とのたうち回った。ジャケットの女性陣の美しさと共に非現実味のある感じ、吉澤嘉代子さんの世界観ファンとしては大満足。で、それぞれが誰かっていうところを確認した。

安達祐実さん   →   『ミューズ』というシングル曲でMVに出演。

モトーラ世理奈さん   →   関ジャムで吉澤嘉代子さんが歌った『残ってる』という曲のMVに出演。

佐藤玲さん   →   『月曜日戦争』という初めてのドラマタイアップの曲があり、タイアップのドラマ『架空OL日記』に出演。

小川紗良さん   →   (わたしが思い返す限りでは)過去吉澤嘉代子さんに関連したお仕事はなし。

小川紗良さん来た?!!小川紗良さん~~~運命のタイミングか?!!!?!という自意識過剰ぶりを遺憾なく発揮したのは、最近見た『イノセント15』という映画に小川紗良さんが出演されていて、見終わる頃にはすっかり小川紗良さんの虜だったからだ。

イノセント15

イノセント15

 

わたしはこの作品について適切な言葉で説明する力を持ち合わせていないので、気になった方はぜひぐぐってください。この映画で小川紗良さんがすきになった。『イノセント15』の小川紗良さんは母親に虐待される15歳の少女という役だけど、何かできるような気になっていても結局15歳というのはまだまだ子供で大人の都合や感情で振り回されるやるせなさが悲しかったけど、ストーリーの切なさや悲しさとか、打って代わって己の衝動に身を任せる感じとかがナチュラルでとても良いなと思った。他の作品も見てみたいな~と思っていたところに吉澤嘉代子さんのジャケットとな…運命かよ…(自意識)しかもとてもかわいい。は~~最高。それしか言えない。

わたしは吉澤嘉代子さんの歌の歌詞がすきで、何かを読み解こうと思考するほど味わい深く、何回聞いてもまた新しい解釈や展開に思い至れるような気がする、そういう余地を与えてくれるところがすきだ。吉澤嘉代子さんの歌について考える時間は人生の豊かさを感じることができる。

吉澤嘉代子×小川紗良…だいすきなアーティストの作品のジャケットに気になっている女優さんが出る。他の方々は今までの経緯があるから想定できるし納得できたとしても小川紗良さんはちょっと突拍子もない気がする。嬉しくて頭が揺れた。それしか言えないしそれを言いたいがためだけにそれ以外のことも書いたけど文字にできて良かった。(小川紗良さんについてはまだ大して何も知らないけど)

吉澤嘉代子さんの話を周りでできる人がいないので久しぶりに発散しましたがちょっとすっきり…また書こう…

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田舎でひとりでヲタクしてる。休日は何もなければひとりでDVD見てぐたぐたして、舞台などの現場があれば大阪行きのバスにひとりで早朝飛び乗る。コンサートにほんとのほんとにひとりで参加したことは無いけど、Twitterで知り合った方に同行させて頂くので実質ひとりでは?みたいなこととかは全然ある。固定的に一緒に現場が行く人がいないことは融通が利くのでまあいいかなと思うこともある。

朝起きて、支度して、仕事して、帰って、お風呂入って、明日の準備して、寝る、をだいたい5回繰り返すと休みが来て、休みだ休みだって浮かれてたらあっという間に迫り来る平日に押し潰されそうになって、こんな風に生きていくんだと思ったら、もういいやって思う。

いつからか好きなものを好きだって言えなくなった。今までのわたしを知っている人に正面からジャニーズを好きだって言えないと気付いた、ずっと前からそうだった。好きな食べ物は?好きな男性芸能人は?好きな洋服は?わたしはこんな人だっていう自意識の枠の中から外れたくない、こんな人だって思われたら恥ずかしい、がんじがらめになって自己開示がものすごく苦手になった。他人に聞かれ得る質問を想定して最適解を準備するわたしはまじでつまらない奴だと思える。ジャニーズを好きだ、とは今でもなかなか言えない。

ひとりでジャニーズを見て完結していると、自分大丈夫か?と思うことがある。日々のしんどさをジャニーズというエンターテイメントに押し付けて、根本的な解決じゃなくて誤魔化し方を覚えてしまった。正しく健全なジャニーズアイドルの摂取方法じゃないのでは?という疑念が自分の中に生まれたとき、ジャニーズを上手に見れなくなった。混沌とした胸中から目が反らせなくなるから見ていられなくなった。いや、見てたんですけどね。



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地上300mから見た大阪の街は大きかった。わたしの大好きな人が慣れ親しんだ街で、今までのわたしなんて関係ないみたいに大好きなジャニーズの話をしていたら、生きた心地がした。同じものを好きな人と好きなものを共有すると、自分がそのエンターテイメントを適切に面白がれている気がした。共通項として、適切に趣味を楽しめている気がした。自分の中で肥大化した何かが軽くなって大阪の空に飛んでいった。

ひとりで悶々としてジャニーズとそれを見る自分に向き合っていると耐えられくなるけど、こうやって、人と共有しながら浄化したいなと思った。

楽しかった、と言ってくれたら嬉しいし信じるし信じてるけど、仮に嘘でも別に良い。楽しい!!!が精一杯自分の中に生まれたことをしばらく噛み締めていたい。