ブルーベリーシガレット

女子力は2次元ではなく3次元

ハッピーオータムウェディング

人生ではじめて、結婚式に招待してもらった。

高校生の頃、一番仲良くしてもらったと思っている子の結婚式だった。大学生になってお互い別々の土地へ引っ越したけど、わたしのところに遊びにきてくれたり、夜な夜な長電話をしたり、地元に帰省したとき予定を合わせて遊んだり、ふたりの一人暮らししてる土地の中間地点に集合して遊んだりした、そういう思い出が頭の中を駆け巡った。いつの間にか、あんまり連絡を取らなくなって久しいね。

大学生時代にアルバイトが同じで出会ったらしい男の人が新郎だった。結婚式で初めて出会った。明るくて人当たりを良い、素敵な人なんだろうなと思った。

わたしの、全然知らない人と結婚するんだね、そんな素敵な人がいたんだね。なんとなくは知っていたけど、そんなに進んだ関係だったんだね。その経過の話をする相手として選んでもらえなかったんだと、胸がぎゅんとした。なんか失恋みたいだな、と思って自分で自分のこと笑った。時は誰にでも平等に流れていたと思い知った。

個人的には、結婚願望はあんまりない。結婚式を見てめちゃくちゃ感動したし、彼女のウェディングドレス姿を見て泣いたけど、やっぱり結婚したいとは思わなかった。でも、好きな人と結婚する人生を選べる彼女を見たとき、あまりにも美しく健やかで、人としての『正解』を見た気がした。二人の馴れ初めを「新婦の猛アタック」と聞いたとき笑ったけど、好きだと思った人に正面からぶつかって、愛情を与えて愛情を返してもらって、結婚しよう、と言ってもらえる彼女は、人として眩しいくらい健全だった。

 

彼女といたあの日この日を思い浮かべて、涙が出てきた。おめでとう、と心の底から思ったけど少し切なかったのは、美しく健やかな彼女を見て自分は人として『不正解』な気がしたことと、彼女と過ごした過去を追いかけたくなってしまったことに、悲しくなってしまったからだと思う。

 

結婚、おめでとう。また遊んでね。

 



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#だから私はメイクする ~ハンカチと洋服を合わせる

『高校一年生一学期の教室で、女子は女と子供に別れる』という話をどこかで聞いた。そういうことだったのかと思った。

あの子たちは『女』という領域の中に、生まれてからずっとそうだったような顔をして入り込んで、わたしは入れずに『子供』に留まるしかなかったんだと、顔の華やかな同級生を思い出した。

中学生まではなんだかんだ言ったって美醜に関しては子供の範疇を越えなかったのではないかと思い返すけど、高校生になってから質の違う優劣がつき始めた。もちろん中学生の頃から可愛い子は可愛かったし自分はそちら側ではないことはもっとずっと早く分かっていたつもりだけど、化粧をしたり髪を染めたり、そういう、子供ながらに若干ステージの違うステップアップだなと感じることをはじめた人が出てきた気がする。

髪を染めることにも化粧をすることにも特別興味は沸かず、というか校則違反して先生になんやかんや言われることのめんどくささを鑑みたら全然魅力度低くない??みたいな考え方の高校生だったので、一貫して『子供』サイドから抜け出さぬまま高校を卒業した。まあ、それなりに楽しかった。

大学生になって、髪も染めたしパーマも当てた。でも、化粧はずっと馴染めなかった。みんな化粧してたし、この化粧品がいい!みたいな話もあったけど、全然馴染めなかった。何回か化粧をしてみたときに「なんか違う」と思って、自分には化粧は似合わないんだと思った。ピンク色になった唇や頬、マスカラでくっきり見える目がちぐはぐでおかしくて、「もしかして化粧は可愛い子がもっと可愛くなるためのツールでしかないのでは?」と思い始めてすぐ諦めた。なんとなく毎日顔に何かしらを塗って大学に通っていたけど、「ひとまず化粧はしてますのでマナー違反ではありませんでしょ?」という義務感や防衛意識からしていたもので、楽しくもなければ化粧をしてる自分をかわいいと思ったこともなかった。そもそも可愛い顔を持って生まれなければ何やったって無駄な気がして、自分の外見について躍起になって取り組んだって徒労に終わると思っていた。それは大学を卒業して社会人になっても、そんなに形を変えることなく私の中にコロコロと転がり続けている。
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『だから私はメイクする』を読んで、こうやって向上しなければいつまでもわたしは「可愛くない側」で何かに負けているような気持ちで生きていかなければならないのではないか?と思った。可愛くなければ何したって意味がないって、そんなことないってことを感じさせてくれる友達や芸能人なんて何人もいるからもう分かっていたはずなのに、いつまでも「自分が不細工なのは分かっています。キラキラやピカピカを身に纏って可愛い子のように装うなど身の程違いなことはしません、わたしは自分を客観的に見れていますよ」という暗黙の自意識を相手に見せているように思っていないと不安だった。いつからか自己否定感情ばかり強くなって、自己肯定感情を高める努力すらしてこなかったのは、わたしの怠慢に他ならず、そのひとつが外見を磨き続ける努力なんだと思う。わたしもキラキラやピカピカを身に纏って、ここがわたしの美意識のターニングポイントでした、と話せるような変身を遂げたくなった。

 

わたしには、月に1度程度のペースで一緒にラーメンとスイーツを食べに行く仕事の先輩がいる。ラーメンかスイーツ、ではなく、ラーメンとスイーツ。ラーメン(わたしがいちばん好きな食べ物)を食した後にスイーツ(先輩が好きな食べ物)を食す。昨年まで同じ職場だった先輩で、身だしなみがいつでも整っている。いろいろな飾りがたくさん付いているわけではなく、いつも「整っている」という印象だが、先日のラーメンスイーツ会(そんな名前は付いてないけど)で、先輩が身だしなみにかける手間の一部を伺うことができ、ズボラ女のわたしは「すごいですね?!!」と素直に感嘆した。前日夜お風呂に入っていても毎日翌朝必ずシャワーを浴びたり、仕事場に着ていく服とプライベートで着る服は厳密に分かれていたり、ハンカチは百貨店で買うと決めていたり、仕事場に持っていくハンカチはその日の仕事着と合わせてコーディネートしていたり、という独自ルールには驚かされた。服とハンカチのコーディネートなんて考えたこともなかった。一緒に働いていた頃からそうだったけれど、先輩は自分のパブリックイメージをコントロールしていて、"他人の目に触れる自分のもの"についてめちゃくちゃ意識を払っている。職場で開催される食のセミナー的なものに「普段お使いの箸とお茶碗を持参してください」と事前アナウンスされていても、セミナーのため、他人の目に自分のものとして触れるからという理由で、雑貨屋や食器屋や百貨店を回って自分が納得のいく茶碗と箸を探し求めて片道一時間半の2つ隣の市まで行く。「先輩は自分を構成するひとつひとつのものをしっかりと選抜されてるんですね!」みたいなニュアンスのことを申したら「もちろんだよ?!!」と鼻息荒めに言われたので、もう一回感嘆した。

 

あるがままを誰かに、可能であれば誰にでも受け止めてもらえたら、それは楽だし幸せなんだろうなと思ってきたけど、見せたい自分のためにガッチガチに武装するのもめちゃくちゃかっこいいのでは?と思い始めている。強くあるために武装する、武装できるだけの自由がある、というのが大人だ、と思った。

吉澤嘉代子さんのアルバムのジャケットに小川紗良さんがいるのが嬉しい

ぜんっっぜんジャニーズ関係ないことなんですけど、もはや他ジャンルというか他界隈の話なんですけど、脳がスパークリングしたのでちょっと書き留めさせてください…わたし以外誰もたのしくないこと書いて公開します…ごめんなさい…

 

 

わたしはアーティストの吉澤嘉代子さんが好きで、関ジャムに出演していたり関ジャニ∞さんのコンサートに行っている姿をSNSで見たりして、ジャニーズと吉澤嘉代子さんが交わる現代の世界線というやつは最高だな…?!!?!と息を切らしている。

2014年、吉澤嘉代子さんがデビューするタイミングで好きになって、そのときわたしは二十歳だった。デビュー記念に全国をインストアライブで回るというのを知って片道三時間くらいかけて会場となるCDショップまで行って、手の届きそうな距離にあるステージの上の吉澤嘉代子さんを見たとき、「かっっっ、、、かっ、かわいい~~~本物だ~~~(涙)」と思った。あ~~思い出すだけで泣きそう(情緒不安定) CD買ったら一緒にチェキが撮れるイベントもばっちり参加して、なんか流れで仲良くなった隣の女の子とまさかの同郷というミラクルまで含めてマジのマジに最高だったということを覚えている。当時の住居からも地元からも三時間くらい離れてるのにすごいなほんとに。その後その子とは吉澤嘉代子さんのライブに一緒に行ったりライブ会場でばったり出くわすなどして親交を深めた。

まあわたしと吉澤嘉代子さんの馴れ初め(?)はさておいて、来月吉澤嘉代子さんは新しいアルバムを出す。タイトルは『女優姉妹』(ちなみに吉澤嘉代子さんが今まで出しているアルバムはタイトルが全て漢字四字)。はあ…もうタイトルから聞きたすぎる…。で、CDのジャケットが先日公開された。

女優姉妹 (通常盤)

女優姉妹 (通常盤)

 

最高かよ…とのたうち回った。ジャケットの女性陣の美しさと共に非現実味のある感じ、吉澤嘉代子さんの世界観ファンとしては大満足。で、それぞれが誰かっていうところを確認した。

安達祐実さん   →   『ミューズ』というシングル曲でMVに出演。

モトーラ世理奈さん   →   関ジャムで吉澤嘉代子さんが歌った『残ってる』という曲のMVに出演。

佐藤玲さん   →   『月曜日戦争』という初めてのドラマタイアップの曲があり、タイアップのドラマ『架空OL日記』に出演。

小川紗良さん   →   (わたしが思い返す限りでは)過去吉澤嘉代子さんに関連したお仕事はなし。

小川紗良さん来た?!!小川紗良さん~~~運命のタイミングか?!!!?!という自意識過剰ぶりを遺憾なく発揮したのは、最近見た『イノセント15』という映画に小川紗良さんが出演されていて、見終わる頃にはすっかり小川紗良さんの虜だったからだ。

イノセント15

イノセント15

 

わたしはこの作品について適切な言葉で説明する力を持ち合わせていないので、気になった方はぜひぐぐってください。この映画で小川紗良さんがすきになった。『イノセント15』の小川紗良さんは母親に虐待される15歳の少女という役だけど、何かできるような気になっていても結局15歳というのはまだまだ子供で大人の都合や感情で振り回されるやるせなさが悲しかったけど、ストーリーの切なさや悲しさとか、打って代わって己の衝動に身を任せる感じとかがナチュラルでとても良いなと思った。他の作品も見てみたいな~と思っていたところに吉澤嘉代子さんのジャケットとな…運命かよ…(自意識)しかもとてもかわいい。は~~最高。それしか言えない。

わたしは吉澤嘉代子さんの歌の歌詞がすきで、何かを読み解こうと思考するほど味わい深く、何回聞いてもまた新しい解釈や展開に思い至れるような気がする、そういう余地を与えてくれるところがすきだ。吉澤嘉代子さんの歌について考える時間は人生の豊かさを感じることができる。

吉澤嘉代子×小川紗良…だいすきなアーティストの作品のジャケットに気になっている女優さんが出る。他の方々は今までの経緯があるから想定できるし納得できたとしても小川紗良さんはちょっと突拍子もない気がする。嬉しくて頭が揺れた。それしか言えないしそれを言いたいがためだけにそれ以外のことも書いたけど文字にできて良かった。(小川紗良さんについてはまだ大して何も知らないけど)

吉澤嘉代子さんの話を周りでできる人がいないので久しぶりに発散しましたがちょっとすっきり…また書こう…

共有したい

田舎でひとりでヲタクしてる。休日は何もなければひとりでDVD見てぐたぐたして、舞台などの現場があれば大阪行きのバスにひとりで早朝飛び乗る。コンサートにほんとのほんとにひとりで参加したことは無いけど、Twitterで知り合った方に同行させて頂くので実質ひとりでは?みたいなこととかは全然ある。固定的に一緒に現場が行く人がいないことは融通が利くのでまあいいかなと思うこともある。

朝起きて、支度して、仕事して、帰って、お風呂入って、明日の準備して、寝る、をだいたい5回繰り返すと休みが来て、休みだ休みだって浮かれてたらあっという間に迫り来る平日に押し潰されそうになって、こんな風に生きていくんだと思ったら、もういいやって思う。

いつからか好きなものを好きだって言えなくなった。今までのわたしを知っている人に正面からジャニーズを好きだって言えないと気付いた、ずっと前からそうだった。好きな食べ物は?好きな男性芸能人は?好きな洋服は?わたしはこんな人だっていう自意識の枠の中から外れたくない、こんな人だって思われたら恥ずかしい、がんじがらめになって自己開示がものすごく苦手になった。他人に聞かれ得る質問を想定して最適解を準備するわたしはまじでつまらない奴だと思える。ジャニーズを好きだ、とは今でもなかなか言えない。

ひとりでジャニーズを見て完結していると、自分大丈夫か?と思うことがある。日々のしんどさをジャニーズというエンターテイメントに押し付けて、根本的な解決じゃなくて誤魔化し方を覚えてしまった。正しく健全なジャニーズアイドルの摂取方法じゃないのでは?という疑念が自分の中に生まれたとき、ジャニーズを上手に見れなくなった。混沌とした胸中から目が反らせなくなるから見ていられなくなった。いや、見てたんですけどね。



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地上300mから見た大阪の街は大きかった。わたしの大好きな人が慣れ親しんだ街で、今までのわたしなんて関係ないみたいに大好きなジャニーズの話をしていたら、生きた心地がした。同じものを好きな人と好きなものを共有すると、自分がそのエンターテイメントを適切に面白がれている気がした。共通項として、適切に趣味を楽しめている気がした。自分の中で肥大化した何かが軽くなって大阪の空に飛んでいった。

ひとりで悶々としてジャニーズとそれを見る自分に向き合っていると耐えられくなるけど、こうやって、人と共有しながら浄化したいなと思った。

楽しかった、と言ってくれたら嬉しいし信じるし信じてるけど、仮に嘘でも別に良い。楽しい!!!が精一杯自分の中に生まれたことをしばらく噛み締めていたい。

悪友@東京を読んで

 

巷で話題の劇団雌猫さんによる「悪友 東京編」をこの度購入し数回読み、感想や感動や嫉妬や心苦しさを言葉にしておきたいと思い立った。

マーカー引いておきたいと思った痛烈に刺さった言葉を抜き出し、思ったことを述べて行くスタイルです。

 

○どんなに傷つき苦労することがあっても、何かを求め選ぶことのできる人間のほうに、わたしはなりたいのだと、東京にきて、はじめて知った。【/①これ以上青森では小説を書けなかった女】

人生の今後の選択をする場面で、田舎に暮らすことを前提に考えると選択肢は限られてくる。生まれてから何かを選びとってきた意識があんまりない。生まれ育った環境のせいにするのもあれだけど、わたし数ある選択肢の中から何かを自分の意思で選びとる力がめちゃくちゃ無い。だいたい小学校も中学校も校区内のところに通って、自分の偏差値と近いところの高校に入学するのがわたしの地元の学生のスタンダードコースだ。テストで何点取れたらあの高校、少し足りないからこの高校というような感じで学校の選択肢がそんなにない。私立の小学校中学校はひとつ、高校はふたつしかない。だから大学を決めるとき、よく分からなかった。行きたい学校?ないぞ、と思った。将来なりたい職業?よくわかんない、と思った。でも一応進学校を名乗る学校の空気から大学受験をして、なんとなくの方向性だけで進学してみた。具体的な将来の職業を見据えて志望校を決めた子を見ると羨ましかった。結構受験期最後のほうまで友達に「その学校にものすごく行きたい??」と聞いていた気がする。失礼だ。でも友達も「ものすごく行きたいっていうか…」みたいな返事だった。もうそれ以上は聞かなかった。だから、就職活動したときも何がしたいのか、何ならできるのか、全然わかなかった。就職活動は苦い思い出だ。もう誰か答えをくれ、って様々な場面で思ってしまうわたしになってしまった。

 

○私は東京に生まれ落ちたけれど、ある瞬間にこの手でこの場所を選んだのだ。無思考に留まっているわけじゃない。楽してない。惰性じゃない。その重さは、自分だけがわかっていればいいのです。【/⑤隅田川から逃げたかった女】

わたしは田舎生まれで東京に憧れる側の人間なので、もともと東京に住んでいる人の気持ちはたぶん一生分からない。正直東京に実家があるなんてどんな幸運な人生のはじまりなんだって羨望と嫉妬の眼差しを向けてしまうけれど、それでも東京に生まれた人も東京という場所への葛藤があるのだと知った。あと、東京にいようが地方にいようが、結局自分でその場所を選びとったという感覚が自分の人生への肯定感を高めるのだなと思った。

 

○東京の良いところは、誰も私に干渉してこないところだ。「いつ結婚するの?」「月収はいくらなの?」「女の子なのにそんなに働いて大丈夫?」と訊いてくる煩わしい親戚は、東京にはいない(田舎にはいるのだ、マジで。今時「女の子なのに」とか言ってくる人間が、たくさん)。【/⑪佐賀の星空を忘れた女】

確かに田舎にいるけど、東京にはいないの?!と思った。(いないの?) わたしは実家暮らし女で、父親は月収やボーナスの額を聞いてくるし、母親は「結婚するのにもお金かかるから貯金しておきなさい」と言ってくる。結婚するともしたいとも言ったことないのに。わたしの職場のだいたいの女性は20歳代で結婚して出産して産休育休入って復帰する。仕事は続けるけど昇進はしない道を自ら選んでいる印象。単純にそれは楽しいのだろうか?と思う。どんな自分を選ぶかはもちろん人によって全然違って、こういうふうにわたしもなるのかな、とは思うけど、こういうふうになりたいなとは正直思わない。

 

○19年間生きてきた佐賀の人たちから後ろ指を指されても、私は幼いころ夢見たあこがれの街で、テレビの中のような暮らしをするのだ。死ぬまで。(/⑪佐賀の星空を忘れた女)

この方の文章がちょっと良すぎるんですよね(誰) 結局東京に住むことを決意するわたしの足枷って地元に戻りたいときに戻れないかもしれないからで、地元が嫌いなわけではなくて、今は東京に住んでみたいって思ってるけど、もしやっぱり帰りたいと思ったときにそう簡単に就職難の田舎に戻れるかなんて分からなくて、それがすごく怖い。何かに挑戦する前から怖い怖い言ってるの本当にセンス無いと思うので、田舎に住むなら住む、東京に出るなら出るでどちらにせよ腹をくくりたい。でもこの方、東京で一人で生きているのが楽しくて仕方ないって仰ってて、葛藤があったかは存じ上げないですけど、東京での暮らしを決意して、どこか地元という田舎と決別したような潔さを感じて、ものすごくかっこいい。

 

○応援しているアイドルも、私が好きな東京の友達も、みんな、東京の明かりのひとつだ。東京で電気をつけて、東京の窓をひとつ光らせている。私もそうしたかった。(中略)でも今は、1人で東京へ飛び出して行けなかった自分を見つめていたい。ただただ見つめて、東京など関係ないと思えるまで、過去の自分を突っ切りたい(/⑭山陰の港町で光を探す女)

大変勝手ながら中略させて頂いてしまったんですけど、中略までの文章、言い得て妙というか(?)、わたしが思っているのはこういうことだったのか思った。わたしの大好きなジャニーズも東京にいる楽しいお友達も、田舎から東京を見たときにチカチカ見える光のひとつで、それぞれひとつひとつが東京に恋い焦がれる理由で、わたしもそれになることに痛いほど憧れてる。でもこの方は東京という場所と自分に向かい合って、もう関係ないと思えるまで突っ切りたいって仰ってる。なんか、言葉にするのも野暮でしょうか。もう素晴らしくて苦しい。あとこの方たぶん居住地そんなに遠くない(突然)

 

悪友はシリーズ通して愛読書だけど、今回に東京編が1番ぐさぐさと胸に刺さった。あと皆さん自分で東京と対峙していらっしゃって、自分のことをとても不甲斐なく思った。

 

わたしも東京で暮らしたい。今後心変わりしないかなんて誰にも分からないけど、少なくとも今は東京で暮らしたいと思っている。「そんな一過性の感情で人生変えていいのか」ってわたしの中の天使だか悪魔だかが言ってくるけど、何が一過性の感情で何が自分が生涯追い求めたいことか、なんてたぶん一生分かるようになんてならない。

 

 

小瀧望くんがかっこよかったって言いたい

自名義全滅に泣いた平成29年11月17日からチケットを探して、大変有り難いことにWESTival1/14昼公演に入らせて頂くことができました。本当にありがとうございました。

そこで最も強く脳裏に焼き付いたことは

小瀧望くんがはちゃめちゃにかっこいい!!!!!!!!!

ということ。もはや小瀧望くんがかっこいいなんて周知の事実なわけで今さら改めて記事にして申し述べなくても、小瀧望くんがどれほどかっこいいかなんて皆さんよくご存知だとは分かっていますが、それでもわたしは小瀧望くんがかっこいいと言いたい!

たぶん普通にネタバレっぽいことやわたしの思ったことやそのときの状況などそのまま書きますのでご注意ください。

小瀧望くんの新しいかっこよさを発見した話ではなく、小瀧望くんのかっこよさが改めてわたしのマインドに訴えかけてきたって言いたいだけです。

 

当日はとっても優しく素敵な方々と同行をさせて頂きました(この方々が素敵なお人柄だというテーマでブログな書けそうなほどには素敵な方々でした)。

詳述は避けますが席も割りと前目で、「近い!!!」と胸が高鳴りました。公演は滞りなく進み、めちゃめちゃ楽しくて、始まって20分くらい経ったころからこの時間がいつか終わったしまうことが悲しくて仕方がなかったです(通常)。

公演も後半に差し掛かった頃(だったと思う)、わたしたちのスタンド前に小瀧くんがいてくれまして、その日初めて近くで見続けることのできた小瀧くんだったので、特によそ見などすることもなく目の前にいる小瀧くんを注視していました。最初数秒間は小瀧くんがそこにいることへの喜びだったのですが、徐々に「……かっっっこいい………!!目の前にいる小瀧くんが!!!!かっこいいいいいい!!!!!」と当たり前のようなことしか考えられなくなりました。そこにいる小瀧くんはしばらくスタンドのヲタクたちをみていました、見ていました、めちゃくちゃ見ていました。誰かの団扇の要求に答えるとかそんなことではなく、ただヲタクを見ていて、「え?!!今目合った?!!!」「わたしのこと見てくれた?!!」って思おうと思えば思えるくらいにはヲタクというかスタンドを見ていたので、「え、、、ちょっと、、小瀧くん、、」と少し恥ずかしくなるという謎の感情と戦うなどしました。淳太くんがアカンLoveで「ボンボンキュボンボンキュボンボンキュボーンッ、ダイナマイッ!!」ってしていたんですけど、その時小瀧くんは自分でその振りをするんじゃなくて手で双眼鏡作りながら(伝われ)ボンボンキュってやってるスタンドのヲタク見て、その後サングラス外して口元拭うような仕草をしてくれました。かわいい姿をヲタクに見せてくれて、ヲタクのことを女の子として見てくれているような仕草をしてくれる小瀧くんを見て、小瀧くんは愛を向けられて人に認められて育ったのだなあと思いました。このタイミングで何故か小瀧くんは背が高くてものすごくスタイルがいいことに目が向き、もう1回めちゃくちゃかっこいいことが頭でぐるぐると回っていました。

このときの小瀧くんが頭の中から離れなくて、終演から数日「小瀧くんが…のんちゃんが…かっこいい…かっこいい…」と熱に浮かされたように思い浮かべていました。

わたしはジャニーズWESTが大好きなんですけれど特定の誰か一人を担当と表明してはいないです。好きになった最初の頃結構考えたんですけれどどうしても一人に決めることができず今日に至った状況です。あと個人的には担当は決めるというよりも感覚的に逃れられないくらいに落とされたいです。(誰も興味ない)  で、小瀧くんってわたしのアイドルの好みポイントから割りと外れたところにいて、かっこいいのはすごくよく分かるけど、これから誰かひとりに決まることがあってもそれは小瀧くんではないと思っていました。それは年下であることなど、本当に個人的な好みだけなんです、が、今回の小瀧くんを見続けた数分が、もう、めちゃめちゃにそのかっこよさを、わたしに訴えかけてきて、ちょっと!ちょっと待って!!整理するから!!!と混乱したまま日常に戻りました。

アイドル小瀧くんはとてつもなく美しくて、でもアイドルになる前に人間として生まれ落ちた小瀧くんもものすごく美しくて、小瀧くんは選ばれた人なんだと改めて認識しました。

 

何が言いたいかと言うとほんとに小瀧くんが光ってたって、それだけです。それ以上のことはないです、ありがとうございました。

 

 

 

開運したくて

 

2017年もそろそろ終わる。仕事してたらあっという間に年末になったという感じで、あまり実感もない。

2016年にファッション誌の占いコーナーや年末年始に出る占い本に、2017年のわたしの運勢ははちゃめちゃに良くて何やっても結果的に上手くいく、と書いてあり、とにかくどの占い見ても2017年とっても運勢が良かったようなのだが、全くその実感が無かった。例年と比較して特別落ち込んだり自分を不幸だと思うようなこともなかったが、そんなに運勢良かった?本当?という感じだった。

遡ること2017年11月17日、敬愛するジャニーズWESTさんのコンサートツアーWESTivalのチケット争奪戦に完敗したことを認知し、占いって当たらないんだと心の底から思った。普段占いをこまめにチェックしたり占いのアドバイスを参考にするなど全くしていないのにこんなときだけ「もう占いなんて信じない!」とか言うのは良くない。行きたいのにチケットが無いという事実が辛くて泣いた。しばらくコンサートの無かったジャニーズWESTさんがせっかくコンサートを発表してくれたのに、わたしにはチケットが無い。辛かった。わたしこんなに毎日仕事がんばってるのに!なんでだよ!という気持ちになった。

コンサートチケット当落から数日後、職場のとある共有スペースで風水の本を見つけた。発行から10年弱くらい経っているような古本だった。自称運がない女だったので、引き寄せられるように本を手に取って読んだ。簡単に言うと部屋を綺麗にしたり物の配置に気を付けて気の回りを良くしましょう、というようなことが書いてあり、まあ風水ってそういうものだと思うが、そこでわたしは気が付いた。そう言えばわたし部屋が汚い。部屋の片付けが幼い頃からとっっっっても苦手で親にも片付けが出来ないことを叱られながら育ち、片付けが出来ないことが改善することもなく大人になった。これだ…!人にあってわたしにないもの、人が出来てわたしに出来ないこと、そう片付け及び掃除だ。そうしてわたしは翌土日、部屋の掃除・片付けを開始した。わたしは地元就職実家暮らし女なので、正直自分が全く掃除をしなくても母親がリビング等の共有スペースを掃除してくれるので生活に全然支障が出ない。成人としては良くない。幼い頃から使っている三段ボックスの整理から始めた。いる、いらない、いる、いらない、いらない、いらない、いらない、いらない、いらない、いらない、いらない。仕分けを終えたころに、わたしは長年三段ボックスに不要物ばかりしまいこんでいたことを知った。びっくりした。よく母親に「そこに入ってるもの全部要らないものでしょ?捨てたら?」と言われていてその度に「要る!」と答えていたが、全部とは言わないが6~7割くらい捨てた。びっくりした。そして自分の部屋の掃除・片付けも行った。要る要らない選別と整理整頓、掃除をしながら、使わないけど捨てられないと思っていたものをいっぱい溜めていたことを知った。全部捨てた。思い出の品と名付けて見るたびにもやもやした過去を思い出して自己否定的な感情になるようなものが多すぎたけど、全部捨てた。もやもやした過去も一緒に捨ててやれた気がする。部屋に残ったのは服と本とジャニーズグッズとその他日用品だった。唯一、今でも収納するか処分するか決めあぐねているものがあって、それは手紙なんだけど、最近もらった手紙とかでは無くて(それは大事にしまってある)小学生~中学生くらいの頃に友達同士でやりとりしていた手紙(手紙を交互に書いて教室で手渡すやつ)で、ひとつひとつが小さいながらそういう文化の中での友達との遊びだったので結構量がある。捨ててしまってもいいかな?とも思うけど、手紙を捨てるって罪悪感があって、どうしようかなあという感じ。少し置いておいて心が決まったら捨てよう。

部屋が片付いてややすっきりした気持ちになった。

そしてその次に運が自分に向くためにできること…そうだ、髪を切ろうと思った。わたしの髪の長さは鎖骨まで程度で、ばっさり切るような気持ちは無かったが、髪の毛を長期間切っていないと毛先の方に古い悪い気が溜まると聞いたことがあり、とりあえず髪でも切っとこうと思って若干切った。その前に髪を切ったのは2ヶ月くらい前だったので、そんなに長期間切っていないわけではないけどなというのが個人的な感覚だった。気分爽快!みたいなことでは無かったが、なんとなくすっきりした気持ちになった。

 髪を切ったあたりで、だいたい自分にできることはこれくらいかなと思い、流れに身を任せることとした。

 部屋の掃除などしながら思ったけれど、普段仕事を一生懸命していることやいろんなことに耐えていることはチケット当落には何も関係がないということを、当たり前なんだけれど、なんだか改めて思い知った。仕事を頑張っていることとヲタク的運勢をどこかで結びつけていた自分と、それに反する事実に新鮮に驚いている自分に気が付いた。しかしTwitterで有名なジャニヲタさんが、「ヲタクとしての善良な行いは必ずヲタクで報われると思っている」と言っていらっしゃって、その言葉は深く心に刻んでいる。善良なヲタクでありたいと思う。

 

以上チケット落選に落ち込んだわたしの起こした開運運動でした。お断りしておきたいのは、わたしは占い信者ではなく、都合のいいときだけ占いを気にするタイプの消費者なので、開運運動としての信憑性がないのはさることながら、ただ自分の頭をすっきりさせて気持ちをごまかすためだけにした行動だったと言えるので、ご承知おき頂けたらと思います。占いのこと全然分からない。別に大晦日に更新するようなものでもないけど、今年中に出しておきたくて出しました。1年間ありがとうございました。