ブルーベリーシガレット

女子力は2次元ではなく3次元

#だから私はメイクする ~ハンカチと洋服を合わせる

『高校一年生一学期の教室で、女子は女と子供に別れる』という話をどこかで聞いた。そういうことだったのかと思った。

あの子たちは『女』という領域の中に、生まれてからずっとそうだったような顔をして入り込んで、わたしは入れずに『子供』に留まるしかなかったんだと、顔の華やかな同級生を思い出した。

中学生まではなんだかんだ言ったって美醜に関しては子供の範疇を越えなかったのではないかと思い返すけど、高校生になってから質の違う優劣がつき始めた。もちろん中学生の頃から可愛い子は可愛かったし自分はそちら側ではないことはもっとずっと早く分かっていたつもりだけど、化粧をしたり髪を染めたり、そういう、子供ながらに若干ステージの違うステップアップだなと感じることをはじめた人が出てきた気がする。

髪を染めることにも化粧をすることにも特別興味は沸かず、というか校則違反して先生になんやかんや言われることのめんどくささを鑑みたら全然魅力度低くない??みたいな考え方の高校生だったので、一貫して『子供』サイドから抜け出さぬまま高校を卒業した。まあ、それなりに楽しかった。

大学生になって、髪も染めたしパーマも当てた。でも、化粧はずっと馴染めなかった。みんな化粧してたし、この化粧品がいい!みたいな話もあったけど、全然馴染めなかった。何回か化粧をしてみたときに「なんか違う」と思って、自分には化粧は似合わないんだと思った。ピンク色になった唇や頬、マスカラでくっきり見える目がちぐはぐでおかしくて、「もしかして化粧は可愛い子がもっと可愛くなるためのツールでしかないのでは?」と思い始めてすぐ諦めた。なんとなく毎日顔に何かしらを塗って大学に通っていたけど、「ひとまず化粧はしてますのでマナー違反ではありませんでしょ?」という義務感や防衛意識からしていたもので、楽しくもなければ化粧をしてる自分をかわいいと思ったこともなかった。そもそも可愛い顔を持って生まれなければ何やったって無駄な気がして、自分の外見について躍起になって取り組んだって徒労に終わると思っていた。それは大学を卒業して社会人になっても、そんなに形を変えることなく私の中にコロコロと転がり続けている。
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『だから私はメイクする』を読んで、こうやって向上しなければいつまでもわたしは「可愛くない側」で何かに負けているような気持ちで生きていかなければならないのではないか?と思った。可愛くなければ何したって意味がないって、そんなことないってことを感じさせてくれる友達や芸能人なんて何人もいるからもう分かっていたはずなのに、いつまでも「自分が不細工なのは分かっています。キラキラやピカピカを身に纏って可愛い子のように装うなど身の程違いなことはしません、わたしは自分を客観的に見れていますよ」という暗黙の自意識を相手に見せているように思っていないと不安だった。いつからか自己否定感情ばかり強くなって、自己肯定感情を高める努力すらしてこなかったのは、わたしの怠慢に他ならず、そのひとつが外見を磨き続ける努力なんだと思う。わたしもキラキラやピカピカを身に纏って、ここがわたしの美意識のターニングポイントでした、と話せるような変身を遂げたくなった。

 

わたしには、月に1度程度のペースで一緒にラーメンとスイーツを食べに行く仕事の先輩がいる。ラーメンかスイーツ、ではなく、ラーメンとスイーツ。ラーメン(わたしがいちばん好きな食べ物)を食した後にスイーツ(先輩が好きな食べ物)を食す。昨年まで同じ職場だった先輩で、身だしなみがいつでも整っている。いろいろな飾りがたくさん付いているわけではなく、いつも「整っている」という印象だが、先日のラーメンスイーツ会(そんな名前は付いてないけど)で、先輩が身だしなみにかける手間の一部を伺うことができ、ズボラ女のわたしは「すごいですね?!!」と素直に感嘆した。前日夜お風呂に入っていても毎日翌朝必ずシャワーを浴びたり、仕事場に着ていく服とプライベートで着る服は厳密に分かれていたり、ハンカチは百貨店で買うと決めていたり、仕事場に持っていくハンカチはその日の仕事着と合わせてコーディネートしていたり、という独自ルールには驚かされた。服とハンカチのコーディネートなんて考えたこともなかった。一緒に働いていた頃からそうだったけれど、先輩は自分のパブリックイメージをコントロールしていて、"他人の目に触れる自分のもの"についてめちゃくちゃ意識を払っている。職場で開催される食のセミナー的なものに「普段お使いの箸とお茶碗を持参してください」と事前アナウンスされていても、セミナーのため、他人の目に自分のものとして触れるからという理由で、雑貨屋や食器屋や百貨店を回って自分が納得のいく茶碗と箸を探し求めて片道一時間半の2つ隣の市まで行く。「先輩は自分を構成するひとつひとつのものをしっかりと選抜されてるんですね!」みたいなニュアンスのことを申したら「もちろんだよ?!!」と鼻息荒めに言われたので、もう一回感嘆した。

 

あるがままを誰かに、可能であれば誰にでも受け止めてもらえたら、それは楽だし幸せなんだろうなと思ってきたけど、見せたい自分のためにガッチガチに武装するのもめちゃくちゃかっこいいのでは?と思い始めている。強くあるために武装する、武装できるだけの自由がある、というのが大人だ、と思った。